昨日は、終戦から76年目の終戦記念日、コロナ禍が拡大中で、テレビ番組も例年より少ない特集番組だったような気がします。(コロナ禍が背景要因より、既に時代が変わろうとしているのでしょうか?)

ところで、私は戦後生まれ、昭和34年生まれですので、第二次世界大戦(太平洋戦争)は実際には全然知りませんが、「何故人同士が戦い、殺し合うことができるのか?何故人を犠牲にしてまでも権力を誇示したがるのか?」「何故悲惨な結果が分かるのに、人は戦争をするのか?」などが興味あり、青年期から読みたい書籍を探し、この時期に放映する特集のテレビ番組をよく観ています。

また見ておいた方が良いと思い、➀「広島の原爆ドーム及び周辺」、➁「沖縄のひめゆりの塔や展示会館/旧日本軍地下壕/喜屋武岬など」、③「鹿児島の知覧特攻基地」を何回か見て廻ってきました。➀と➁はまだ中学生になった時に子供たちも連れて行きました。

➀と②は、感想は「ただただ悲惨ことに、分からず巻き込まれ、時代は関係ないかも知れないですが、誰も何も言わないことが、大きな悲劇を生み、若い人も年取った人も巻き沿い合い、死んでいった…この点はこの戦争を起こしたというより、無闇に長引かせた人達の大きな責任である」と思いました。しかし③の特攻に関しては、「良く分からない」というのが本音の感想でした。時代という背景があり、当時の青年や少年が、モノ言うことができない時代であったのでしょうが、何故みんなで声を上げられなかったのでしょうか?国中での「洗脳」が為されたとしたらば、その洗脳をした人間は、何があっても許されるものではないです。ただ知覧での特攻へ行く人達の手記を読んでいると、この戦争は負けると大勢の人達が分かっていて、家族のため、愛する人のため、奥さんや恋人のためと大義を自分で作り、絶望の中で特攻していくように読めました。明らかに➀の広島と➁の沖縄とは異なるように思えました。

「巻き添え/巻き込まれで亡くなる」のと「大義を作って死にに行く」は、全然レベルは違うかも知れませんが、現代では交通事故の巻き添えに合うのと強い人間言われ、逆らえず自ら事故を起こしてしまうのとの違いで、明らかに異なるような気がします。

「多勢に無勢」という言葉がありますが、当時がどのような時代かは直面しないと分からないです、映画やドラマのように、もしタイムスリップができ、自分の命に係らないのでしたらば、以前から戦中での人々の声や雰囲気、感情を知りたいとは思っていますが、これは無理でしょう。

今のコロナ禍の生活とは、全然次元が異なりますが、知らないところで何かが決まり、実行される社会、今日のモーニングショーで橋下さんも話していましたが、不都合を隠す体質が出てくる社会は怖いようにも思います。ママスメディア、SNSはその牽制には十分役立つと思いますが、これもまた分からない人間が、くだらない活用をするので、国は規制をかけ、また見えないようにしていきます。

理想論ですが「保身」や「権力」という欲はなく、絶対に戦争というものを起こすことなく、平和だけではボケてしまうでしょうが、助け合う世の中、世界になっていくのが、良いですよね~何事も「偏らない」でこれたら良いのですが、なかなか何十億の人口が世界にあり、日本でも1.2億人以上の人口がいれば、無理かもしれませんが、自分たちが生きていく世界は、自分たちの手で住みやすく作っていくべきと思います。

孫の柊ちゃんが成長して、大人になっていくときには、生活しやすい、楽しい日本、世界になって欲しいですが…難しいのかなぁ?

(ただただ、元気で健康でノビノビ育っていくことを願うジジでした)

株式会社A&Kメディコンサル.com  佐藤勝浩